fksann’s diary

MBTIや心、感情についてのエッセイ

「前者後者」とこの世の成り立ち

こんにちは、fkです。

まだまだ小さな生まれたばかりのブログですが、以前「前者後者」とJ型、P型について書いた、

fksann.hatenablog.com

 の記事を読んでくださってる方が少しいるみたいで、嬉しい限りです。

 

せっかくなのでもう少しその「前者後者」について、考えてみようかなと思います。

「前者後者」については上の記事にもあるんですが、それら二つは

前者は他人からどう見られているかが、自然に見えていて(他者視点)

後者は自分が周りをどう見るかのみで、世界を見ている(自分視点)

のように分けられるんですね。

 

他にも、「頭が真っ白になるか?」という質問に対して、

「ならない」なら前者、「なる」なら後者という分かりやすい指標もあります。

 

この「前者後者」という二つの人間のタイプは、世の中においては

・前者・・・

空気が読め、理解、理論、表現、処理能力が比較的高い マルチタイプ

 

 

・後者・・・

天然、癒し系、言葉をストレートに受ける 集中タイプ

 

という現れ方をします。マルチタイプとシングルタイプ。

 

お分かりの通り僕は完全なおバカ後者なのですが、前者の方はもちろん羨ましいです。

と同時に、絶対なれないというのも経験的に分かってきました。

 

人が何考えてるかなんか分かりません。自分のことしか頭にありません。

気を遣ったり、感情の波を感じることはありますが、それは他人からどう見られているかが分かっているわけではありません。

あくまで、自分の中で他人の状態がどうなっているだろうかというのを情調のトーンで内的に把握しているだけです。

 

そんな「前者後者」がいるこの世の中ですが、その二つのタイプが織りなすこの世はどのような場所なのでしょう。

僕は一重に言って、「猛獣と猛獣使い」が有機的に折り合って動いている世界かなあと思いました。 

 

何やねん「猛獣と猛獣使い」って。

後者ながら前者から見たこの世界を想像してみると、そこは何か秩序を持たせなければいけない場所、こうこういう風にあるべき場所というイメージが見えます。

前者はこの世の中というのは、「こういうものだ」「こういう風にするものだ」「こうあるべきだ」みたいなイメージを自然に持っているのかなあと思いました。

 

一方自分もそうである後者から見た世界を思い起こすと、基本なんでも来いな世界な気がします。別に何が起こってもいいし、起こったら起こったで何とかするしかないって感じ。

「こういうものだ」っていうよりも、その瞬間自分がやりたいと思ったことをやりたい。できるだけそれしかしたくない。

 

こんな二つのタイプの人がいる世界って、さしずめ暴れる猛獣と、それを眺め制そうとする猛獣使いがいる世界に見えてきます。

猛獣は好き放題やるし、使いはそうじゃないよ、こっちだよって諭そうとするし、

ここで猛獣が怒って、使いに噛みつくこともあるだろうし、使いに怒られて、猛獣がおとなしくなることもあるだろうし。

 

使いに怒られて、怖くなった猛獣がもう怒られたくないと、使いのような振りをしてい二足で立って、前足で使いみたいに鞭を持ったりすると、

多分不自然で使いから見ても、邪魔だからそこどいてほしい、動いてほしいとかえって怒られてしまうというようなことが起きるだろうなあとも思うし、

 

一方で、使いが猛獣が楽しそうなのを見て羨ましくなり、猛獣になってつもりで走り回ったりしてみても、猛獣から見ると何がしたいんだ、俺が行く先の邪魔だっとなって、

噛みつかれてしまうようなこともあるだろうなあと思います。

 

二つのタイプについて考えてみましたが、後者の僕は適当に生きていきたいし、前者の人には適当に助けてほしいですね。

頼んだ前者!