狂気と計算の間にいる。
どうも狂気と計算の間にいますfkです。
狂気というのは恐ろしいもののようで、実は僕の身近にいたような気がしています。
ずっと昔から、いつも狂気を飼っていた。
これが本当に狂気なのかは分からないですが、いつも現実にない可能性を見ていました。
横断歩道を渡れば、突然遠くから途方もない速さで車が走ってきて、避ける間もなく僕は吹き飛ばされてしまうんじゃないだろうか?
目が見えるという言葉があるけれど、僕は本当に目が見えているんだろうか。実は見えているというのは僕が体感しているこの視覚的感覚と全く違うものを意味していて、みんな見えていると言っているのは、僕の見えていると全く異なるものなんじゃないだろうか?
あの角を曲がれば、怪物がいて僕は殺されてしまうんじゃないだろうか?
など、怖いんだか、面白いんだか自分でもよく分からず、色んな可能性を考えていました。
その可能性を考える感覚は今も変わりません。むしろ強化されている位です。
ただ正直これを狂気とはあまり思っていなくて、僕からすると当たり前の感覚がやや周囲とずれているから狂気と呼ばれる、このずれに僕も違和感を感じているから僕が狂っているんだと感じる。
でも僕からすれば、当然の帰結に周囲がついてきていない感じ。
僕の当たり前の感覚が恐らく周囲とずれている。それだけのこと。
だから、この可能性を感じるという感覚もむしろいいことをしている感覚です。
こっちのほうが面白いやん?みたいな。予定調和楽しくなくない?
アーティストになりたいだか、何だか何でもよいのですが、最近思っている僕の人生の裏テーマに、『日本人の価値観をアップデートしたい。』という感覚があります。
つまらない同調圧力やら、予定調和やら、ラジオ体操やら、盆踊りやらから日本人、僕の周囲にいる人々を解放したい。
俺の方が面白いよ?もっとこっちおいでよ。というある種冷めた感覚です。
これが計算です。
いかれているのかもしれないけど、そんなもんはとっくに受け止めて、もっとみんな面白くなって欲しいんですよ。
狂気だろうが、そんなものは僕の未来への計算の内です。
もっとみんな狂ってしまえばいいと思うな。どうせ大丈夫だから。