fksann’s diary

MBTIや心、感情についてのエッセイ

僕の父親は自殺した。

こんにちは、fkです。

今日は僕の父親について書いてみようと思います。

タイトルの通りですが、僕の父親は自殺しました。父が43歳くらいのときだったか。

原因はよく分かりません。

まあ辛い労働をしていたというのは確かなんですが(父は自衛官だった)、それでもなぜ自殺するほどの心境に至ったかは分かりません。

確か親友の連帯保証人になって、結局肩代わりする羽目になったとは聞いたような。。

それでもそのお金は親族が出し合って、決して債務にはならなかったのですが。

結果的にはうつ病を患って、自衛隊の病院に入院していたこともありました。

それも含め、死ぬ間際には父が色々精神に来ているのは小さい頃の僕も見ました。

 

最近になって母になぜ父が自殺をしてしまったのか聞いたことがあります。

そのとき母は「分からない。色々大変なことはあったけど、あの人は昔から早く死にたがっているようなことを言っていた。」、

「定年したらどんな生活をする?と聞いたら、早く死にたいと言っていた。」などと話していました。

そんなこと僕の小さいころには知ることもありませんでした。

父は最初から死にたくて、とうとう43歳のときに自殺を選んだんでしょうか。

そんな人がいるんですか。最初から死にたいなんて。。

 

父が死んだとき、僕は11歳、小学六年生でした。もう10何年も前になります。

僕の家は、僕のほかに父と母と3つ下の弟がいる四人家族でした。

父は親としては子煩悩な方で、休みのたびに遊園地やアスレチックなどどこか連れて行ってもらっていた覚えがあります。

父が死ぬまでは、うちのアルバムも色んなところに遊びに行った僕と弟の写真がいっぱい貼ってありましたが、

父が死んで以降は何も写真が貼られることはありませんでした。

正直悲しいとも、痛いとも分からない鈍色の記憶です。

自分で痛みを感じないように封じ込めたのは確かですが。。

死んだときは、僕も弟も泣くこともなくただ呆然と葬儀を過ごしました。

泣いているのは何故か父の母である、祖母だけでした。

 

でもきっと辛かったような、何かを失ったような心持ちがした気がします。

父が死んだ後、人がいなくなるというのが一瞬理解できませんでした。

今まで父がいた家に、もう父はいない。二度と現れることはない。

このことはあまりに唐突で、僕は死んでもしばらく、あそこに見える大人の人は実は父なんじゃないかと何度も思っていました。

後ろ姿や顔にわずかでも父に似た面影を探してしまうのを、何故か止められませんでした。

 

父が死んだとき、実は父のことを嫌っていました。

そのときにはもう父がおかしな状態になっているように見えたからです。

勧誘に来た新聞屋に当たり散らしながら、マンションの下(11階に住んでいた)まで降りてきて、辺りに怒鳴り声が響くのを友達と一緒に遊んでいた僕が見ることもありました。

「あれお前のお父さんじゃないの?」と友達に聞かれたとき、僕は違うと思うと答えることしか出来ませんでした。違ってくれと心をギュッと硬くしながら。

 

弟には特にキツく当たっているのをよく目にしました。

弟は特に引っ込み思案なのですが、そんな弟に食事のたびにダラダラ食べるな、はっきりしろ、好き嫌いするなとよく怒鳴り散らしていました。

そんな風に怒られても、おとなしい弟はうまく応じることも出来ず、ただもぞもぞすることしか出来なくて、余計火がついた父は、よく弟をベランダに放り出して、鍵をかけてしまいました。

その度に弟は大泣きしていました。

それを隣で見ている僕はまるで自分が怒られているかのように怖く、いつ自分が怒られるかも分からないと内心ビクビクして、ギュッと硬くなっていました。

 

そんなおかしな父は父親だと思うには、何だか恥ずかしく、みじめでした。

 

死ぬ間際、父がだんだん死に向かっていっているというのは、少しずつ出ていました。

父から聞かされていたのでしょう、父が死ぬことばかりを言っていると母が漏らすのを当時よく聞いていました。

そんなネガティブなことは聞きたくないなとうっすら思いながら、父が死ぬことを口にしていると段々知るようになりました。

 

それでも本当に死ぬのか、正直分からないと思っていました。

人に父が死ぬと言っていると漏らして、とても心配されることもあったりしましたが、

内心では、いつかこれが終わるんじゃないかと思っていました。

しばらくすれば父も考えが変わって、死ぬなんて思わなくなるんじゃないか、と。

当時の僕にとって、人が死ぬなんてのは想定外で、死ぬと言った人が本当に死ぬというのは、直ちに繋がる話ではありませんでした。

 

こんな状態が半年程続きましたが、もしかするとダメかもしれないなと思う事が起き始めました。

父が実際に目の前で「もう嫌だ。」と言いながら、ベランダへと向かうような素振り見せたり(母が必死に止めてその時は事なきを得ましたが)、

僕のいない時に手首を切っていたらしいということを聞いたり(その時弟が近くにいたようです。)、

死にたいと言っているのを聞く以上のことを目にするようになりました。

このころはもう父に元気があるということはなく、むしろ元気がないのが当たり前になっていて、元気がないのに全く違和感を覚えるようなことがありませんでした。

この時僕には、もう父は死ぬのかもしれないという思いと、まさか死ぬなんてという考えが交錯しました。

 

そこから父の死はあっという間、突然でした。

ある晩僕が塾へ行く準備をしているとき、普段元気がなく、少しおかしな言動が目立っていた父が突然、

「塾へ行くのか?ご飯作るから、持っていきなさい。」

といつもにない優し気な雰囲気で言ってきました。

これは何かおかしい、と内心強くザワザワしました。

ザワザワした気持ちを抱えながら、それでもそれはないんじゃないかと少し思い直し、渡された弁当を持って塾へ行きました。

塾が終わって、夜の10時頃家に帰りました。

玄関を開けると家はしんと静まり返った空気で、弟しかいません。

弟に聞くと、分からないけど父が出て行って、母もそれを聞いて出て行ったと言いました。

ほぼ確信した気持ちになりました。

父はどこかも言わず出て行って、母はその行方を知らない。父を最後に見たのは弟でした。

 

翌朝、父が亡くなったと知らされました。

ああ、やはりそうなってしまったか、と何故か後悔するような気持になりました。

そのあとは父の死を、感じる間もなく葬儀になり、感じる間もなく終わりました。

葬儀の中で、こんなみじめな立場は嫌だ、絶対に人より下の立場になりたくない、早く大人みたいになってやると心を固くしたのを覚えています。

憐れな父に死なれた、みじめな子と思われるのがすごく嫌だったのです。

俺は父と違って、自ら死ぬような憐れな人間にはならないと強く思いました。

 

なぜ人は死ぬのか、僕は絶対みじめになりたくないなど様々な思い、決意を

父の自殺は僕の中に置いていきました。

父の死を自分が悲しんでいるのかもよく分かりません。

何故か人の死については敏感に感じるようになり、死ということを聞くだけで、悲しい気持ちになることも多くなりました。

 

母や弟には何が残ったんだろう?人の死は人に何を残していくんだろう?

関わりのあった人の中で人は生き続けるんだろうか。